デンスケの気まぐれ日記

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zoom RSS 複雑怪奇に非ず

<<   作成日時 : 2019/05/20 01:35   >>

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独ソ不可侵条約は、1939年8月23日にドイツとソ連の間に締結された不可侵条約。不倶戴天の敵とみられていたヒットラーとスターリンが手を結んだことは、世界に衝撃を与えた。日本では、同8月28日に平沼騏一郎首相が「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」ために日独の同盟交渉を打ち切ると声明し、責任をとって総辞職した。

ヒットラーは、「わが闘争」のなかで、反ソ、反仏、反ユダヤ主義が掲げられており、 「ドイツが国益を伸張するためには、貿易を拡大するか、植民地を得るか、ソビエト社会主義共和国連邦を征服して、東方で領土拡張するかの3つしかない」と結論付けている。おそらく、ヒットラーの思考は次ぎのようなものではなかったか。

1.対ソ戦争を実施するためには、西ヨーロッパ(フランス、オランダ、ベルギー)の武力制圧が不可欠。
2.それを実現するためには、時間的猶予が必要。ソ連から背中を撃たれる事態は避けなければ成らない。
3.その時間稼ぎの方便として、独ソ不可侵条約を締結する。


そして、ヒットラーは、対ソ侵攻作戦「オペレーション・バルバロッサ」を作成し、ついに1941年6月22日にドイツ軍によるソ連領土への侵攻が始まった。当然のことながら、短期決戦を目指したもので、当初は、スモレンスク、南部のキエフ、ハリコフなどを次々に攻略したものの、モスクワ攻略を目前にして進撃が停滞してしまった。この時点で、ドイツ軍の戦死者は20万人を突破し、負傷者も80万人にも達していた。兵力100万人の軍隊を維持するためには、一日の食糧だけで400トンが必要である。

仮にワルシャワ辺りに食料集積所を設営したとしても、モスクワまで1100キロ以上の距離がある。10日分の食料だけで4000トンである。それ以外に、武器弾薬、燃料、冬季服装も必要と成る。鉄道は遮断され、ガソリンも不足している状況では、必要な物資を運べず、どう考えてもドイツ軍に勝ち目はない。短期決戦に失敗した時点で、「オペレーション・バルバロッサ」は頓挫したと考え、早期撤退に踏み切るべきだったと思われる。

さて、話を戻すと、「わが闘争」に書かれていたヒットラーの考えからして、1〜3の思考は容易に推察できるはずである。当時の国際政治情勢に照らしても、それは必然と思量されうる。「複雑怪奇」とは到底私には思えない。物事は、収まる処に収まるものである。

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